=再録=
蟷螂(とうろう)の斧(おの)の闘い
ウラン残土レンガの加工終了に寄せて

 

2011年2月22日
ウラン残土市民会議運営委員
土井淑平

 

(本稿は中国地方反原発反火電等住民運動市民運動連絡会議の機関紙『ニューズレター』 ( No.300、2011年2月20日)に掲載されたものの再録です)

 鳥取県三朝町の鳥取県有地で行なっていた日本原子力研究開発機構によるウラン残土のレンガ加工が昨年12月に終了した。終了時の在庫レンガ27万個は、文部科学省・鳥取県・三朝町・原子力機構の4者協定書に基づいてことし6月までに県外搬出を目指し、搬出終了後にレンガ加工場は解体されることになっている。
 2008年4月の運転開始から今回の運転終了までに、累計で約145万個に及んだ加工レンガは、同県湯梨浜町の方面(かたも)地区から搬入された約2700立方メートルのウラン残土を素材に粘土などをまぜて製造された。
 そのうち、56万個は原子力機構の施設の歩道や花壇に、2万個は三朝町の公園の整備に、60万個以上が法人や個人に販売された。岡山県の鏡野町も3万個の受け入れを表明していたが、石井正弘知事が難色を示したため受け入れを断念した。
 ウラン残土市民会議のホームページの「ウラン残土レンガ15万個が一般に頒布されていた!」(初出は日本消費者連盟『消費者レポート』No.1457、2010年3月7日)でも強調したように、方面地区のウラン残土撤去運動を支援・共闘してきたわたしたちは、加工レンガの搬出は原子力機構の関連施設にのみ限定されるべきで、一般への販売は核のゴミ≠フスソ切り≠ノ相当するのでもってのほかと訴えたが、抗する術なくこのような結果となったのはまことに遺憾である。
 そればかりか、放射線レベルが比較的高い貯鉱場跡のウラン残土の一部290立方メートルが、ナバホ族やホピ族などアメリカ先住民の土地たるユタ州のホワイトメサの製錬所に、製錬の名目で搬出されたのは偽装された“鉱害輸出”であって、ウラン残土撤去運動を進めてきたわたしたちにとって、慙愧(ざんき)の念に堪えない思わぬ歴史の復讐のように感じられた。
 のみならず、一部ホワイトメサと加工レンガ145万個に行き着いた方面地区のウラン残土3000立方メートルは、同地区の1万6000立方メートルのウラン残土の2割弱にすぎない。しかも、鳥取・岡山県境の人形峠周辺の12地区で、原子力機構(当時は原子燃料公社)が放置したウラン残土は総量45万立方メートルに及び、その大半は立ち入り禁止策で囲っただけで、野ざらしのまま放置されているのだ。
 つまり、ウラン残土問題はほとんど手つかずで何も解決されていないわけである。ウラン238の放射能の半減期は45億年である。45億年というと地球の年齢に等しく、放射能の毒性は永久に続く。原子力開発の入口のウラン残土ですら解決不能のこのザマで、当初からわたしが口をすっぱくして訴えてきたように、つまるところ原子力開発は入口から出口まで膨大な放射能のタレ流しで成り立っている。原発から出る核廃棄物、なかんずく、高レベル核廃棄物のあと始末に至っては、技術的にも社会的にも政治的にも、あとは野となれ山となれの解決不能のアポリア(難問)であって、一切の楽観的な見方や妄想を吹き
飛ばす。
 方面地区ではウラン残土の放置が発覚した1988年以来、わずか20世帯の山間の無告の民たるもの言わぬ農民たちが、他人の土地に勝手に毒物を投げ捨てて逃げた者に対して、それを撤去せよと要求し協定書まで締結させ、巨大な国家機構や行政当局の何重もの圧力に抗し、最後には最高裁を動かして遂に自らの要求を貫徹した。それはどこよりもダメな東海の島国の日本で実際に起きた実に信じ難い奇跡のような出来事である。
20年近くの歳月に及ぶこの方面地区のウラン残土撤去運動が、たとえ蟷螂(とうろう=カマキリ)の斧(おの)のように見え、さきに指摘した脱線と限界と難問に直面する結果を伴ったとしても、それ以上の何をかれらに求められるというのか。わたしたちは大義名分やスローガンだけの運動と違う、かれらの地に足のついた血の滲む闘いに共闘し、文字通りすべてを賭けて闘ったのであり、そのことにいささかも悔いるところはないし、いまなおこの闘いを誇らしく思うものである。

同HP「本紹介・原子力の魔法を解く市民科学者の2著 /久米三四郎著『科学としての反原発』、小出裕章著『隠される原子力・核の真実』」でも、この問題に言及している。


 

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