ウラン残土の近況と当面する課題

    2008年11月7日
    ウラン残土市民会議
          土井淑平

 人形峠周辺のウラン残土は1988年8月に放置が発覚しました。その量は人形峠をはさんで鳥取・岡山両県の12地区に約45万立方メートル。これは200リットル入りドラム缶に換算して225万本で、国内の全原発で操業いらい今日までに発生した低レベル放射性廃棄物の約2倍に相当します。この人形峠周辺のウラン残土は、一部の残土を撤去した岡山県側の中津河地区を除き、立ち入り禁止柵と土砂止め堰堤を設置しただけで、基本的には野積みのまま放置されているのです(注1)。
     
         <ウラン残土撤去後の方面堆積場 2008年4月24日撮影>

 ウラン残土の放置発覚以来、人形峠周辺の12地区の旧ウラン鉱山跡地のうち、鳥取県湯梨浜町(旧東郷町)の方面自治会だけが唯一立ち上がってウラン残土の撤去を要求、1990年に旧動燃(現在の日本原子力研究開発機構)と撤去協定書を締結しました。のらりくらりと協定書の履行をサボタージュする無責任な原子力機構に対して、方面自治会は18年間に及ぶ苦しい闘いのすえ、裁判に持ち込んだ自治会訴訟の勝訴が最高裁で確定した結果、2006年11月に方面地区の1万6000立方メートルのウラン残土のうち、さきの協定書で撤去を約束した放射線レベルの高い約3000立方メートルの撤去を実現しました。
 方面地区から撤去された約3000立方メートルのウラン残土は、米国搬出の290立方メートルを除く約2700立方メートルが人形峠県境の鳥取県三朝町の県有地に移されました。ことし2008年4月、原子力機構のレンガ加工場が完成、ここでウラン残土に粘土やセメント・固化剤をまぜて約100万個のレンガに加工し、2011年6月30日までに県外に搬出する計画です(注2)。原子力機構は加工するレンガについて、全国約10カ所の原子力機構の関連施設で、歩道の舗装材などに使用すると説明してきました。ところが、三朝町はことし7月以来、加工レンガ2万個を町内の公共施設の歩道などに受け入れる方針を固め、9月の町議会で受け入れを全会一致で正式に決めました(注3)。そこで、わたしたちウラン残土市民会議はこの問題を三朝の市民とともに考えたいと、11月22日に小出裕章さんを三朝町に招いて、講演会「ウラン残土レンガと放射能の基礎知識」を開くことにしたのです。
          
        <建設中のれんが加工工場 2007年11月17日撮影>

    
       <完成後したれんが加工工場とその内部 2008年8月8日撮影>

  この間、三朝町は人形峠の原子力機構の施設の立地で長年、国から膨大な電源交付金を受けてきただけでなく、放射能のラジウム温泉を観光看板にしてきた自治体なので、ウラン残土レンガを受け入れてもおかしくない理由はあるものの、わたしたちは三朝町の当局や町議会の判断だけでなく、三朝町の市民の意思を直接問う必要があると考えています。すでに、幌延や岐阜など原子力機構の関連施設がある地域の市民団体が、ウラン残土レンガの受け入れを拒否する態度を早々と表明していることも承知していますが、これら県外の原子力機構の関連施設についても、その受け入れの是非はそれぞれの地域の市民の意思に直接ゆだねられるべきであることはいうまでもありません。
 ウラン残土をめぐる近年の動きをめぐっては、ことし4月に組合員22万人の生活クラブ生協の記者とカメラマンを人形峠と方面地区に迎え、地元の榎本益美さん=下の写真の右端=とウラン残土市民会議の石田正義代表と土光均とわたし=左端=が現地を案内、『生活と自治』7月号に「負の遺産は誰が引き取る」というレポートが掲載されました(注4)。
   <方面地区の下1号の坑口前で、榎本益美さんから     <方面地区のウラン残土堆積場で
   ウラン採掘当時の 話を聞く生活クラブ生協の記者と      全国環境教育ネットワークの人たちに
  
カメラマン(中央の2人)2008年4月24日撮影>          説明する榎本益美さん
                                                2008年8月9日撮影> 

 「ウラン残土は原子力開発の入り口≠フ負の遺産だ。その後処理さえ満足にできないまま、国は今、原発の新たな立地や核廃棄物の処分などを進めようとしている」との指摘に同感であり、20年前にウラン残土問題に取り組み始めたときから現在まで、わたし自身が一貫して主張してきたことでもありました。ことし7月には、全国環境教育ネットワークの人たちが夏期巡検のコースに人形峠と方面地区を組み込んで湯梨浜町で1泊、榎本益美さんとわたしがウラン残土の状況について講演するとともに、ウラン残土が撤去され整形された方面地区の残土堆積場を案内しました。
  最後になりましたが、ウラン残土の撤去を受けて、方面自治会は榎本益美さんを建設委員長に、累計1億4325万円の制裁金の一部を使って新しい公民館を建設し、その落成式がことし2008年7月に行われたことをつけ加えておきます。新公民館の表札は榎本さんが寄贈した柳の原木でつくられましたが、落成式の挨拶で榎本さんはつぎのように述べられました。「公民館の表札は、残土問題で半世紀苦難に耐え、時には柳に風と、当時の国や、県の圧力にも耐え抜き、柳の耐える力を糧に明るい地域作りの拠点として発展することを願って、柳の原木で表札を掲げました」と。
  
    <建設中の公民館 2008年4月24日撮影>        <完成した方面公民館前で榎本益美さん。
                                   表札は榎本さん 寄贈の柳の原木に刻まれた。
                                            2008年8月9日撮影>  

(注1)人形峠周辺のウラン残土については、本ホームページの「資料箱」のデータを参照。
(注2)ウラン残土のレンガ加工と県外撤去については、2006年5月31日の「方面ウラン残土の措置に関する協定書」(原子力機構理事長・鳥取県知事・三朝町長・文部科学大臣の4者協定)、および、2006年5月11日の原子力機構「三朝町全員協議会御説明資料/レンガ製造施設の概要」を参照。
(注3)三朝町のウラン残土レンガ受け入れの動向については、本ホームページの「新聞切り抜き帳」を参照。
(注4)生活クラブ事業連合生活協同組合連合会『生活と自治』2008年7月号所収の「負の遺産は誰が引き取る」(文/高橋宏子、撮影/尾崎三朗)