|
1、榎本さんに託された長老の想いを実現
ご紹介いただきました弁護士の水野です。
まず最初に、きょうこの日を皆さんとともに迎えることができまして、心から感謝したいと思います。それから、原告であり方面の地区においても中心に活躍されました榎本さん本当にご苦労さまでした。
また、ウラン残土の発覚当初からずっと支援を続け、そして裁判にも欠かさず来ていただきました支援の皆様にも、感謝をしています。もちろん、小出先生、さきほど妻波弁護士から紹介がありましたけれども、もう「うんざり」とメールで書きながらも、意見書を再々々々々意見書ぐらいまで何度も提出していただき、またずっと以前からこの問題にかかわっていただいているということで、ありがとうございました。
この訴訟は、土地の境界をめぐって、動燃の方が様々な主張をして争ってきました。それに対して、私たちは図面を作ったり、測量したりといろいろ反論をしていかなければなりませんでした。私たち弁護士には図面を作ったり測量したり、そういう能力はありません。この点で大変ご協力いただいたのが権代(幸紀)さんでして、今日いらっしゃっていますので、感謝の意を表したいと思います。
皆さんのご協力があって、この訴訟がここまで来ることができたと思います。
私自身が榎本さんと初めて会ったのはいまから8年前の1998年で、実はそれまで方面のウラン残土の問題というのは全く知りませんでした。もちろん「人形峠」というのは学校で習います。ウラン鉱山で放射能の被害があるということも、一般的には知っていました。けれども、この身近なところでウラン残土の問題があるということを、榎本さんにお会いするまでは、全く知りませんでした。
私が1998年に榎本さんの方からお話を受けましたことは、この資料の年表のところに記載されています。その年に榎本さんが地区の長老から土地を譲り受けた時の法的な手続きのところから相談を受けさせていただきました。その当時からすると今日まで8年ということになります。
榎本さんが土地を取得したことが今回の訴訟に続いていると思います。何より長老が榎本さんに土地を託したというのは、今までの榎本さんのこのウラン残土の撤去の問題に向けた活動ということに根ざしている。そのことを信頼して「是非に」と榎本さんに、土地を託された、それが今日につながっているというように思います。
2、榎本さん訴訟が重しになって和解案を拒否
榎本さんの地権者としての訴訟は方面の自治会の訴訟と、さきほど妻波先生からお話がありましたように、「車の両輪」という形で起こしました。両輪ということですから、とにかく支え合い、方面の自治会の訴訟があって、地権者の訴訟が自治会訴訟をさらに強化する、というふうに力を発揮しました。
もっとも力を発揮したというように、あるいは役割を果たしたという風に、私が訴訟の中で感じましたのは、このウラン残土の年表にあります2003年の4月に、自治会訴訟の和解協議の場に補助参加人として参加した場面だと思います。榎本さんは、訴訟を起こしたまさに地権者として利害関係があるんだということで自治会の訴訟に補助参加をしました。
この時点では、榎本さんのお話にありましたように、文科省の担当者が地区を戸別訪問をしたりして、とにかく自治会切り崩しに入っていました。これはきっとウラン残土の問題が起きてから、こういうやり方をずっとされてきたということでしょうけれども、核燃の方に有利な290立方メートルだけの撤去にしようという目的で、切り崩しを計るという場面がありました。
切り崩しを計った上で住民投票 ― 地区の総会の投票をした、ここでどう持ちこたえるのかどうかというところが、大変ながんばりどころで、皆さんもはらはらし、そして榎本さんも大変な時期であったんではないかと思います。
その時点でおそらく核燃の方は、「これでひっくり返せる、これで自分たちは勝った」と思った場面ではなかったかなと思うんです。けれども、やはり方面の地区の人たちの良心、理性は、核燃が考えているほど甘くなかった。榎本さんの勇気ある活動に対する評価も非常に高かった。ということで、ふたを開けてみれば地区の総会の採決でも、この和解案というのが拒否されたということになりました。
和解の席に私たちが補助参加人の代理人として臨んだときに、文科省の担当者も来ていました。その席で、「戸別訪問は、もうしないでしょうね。」と補助参加人席から釘を刺す場面もありました。やはり自治会訴訟にとっても、この榎本さんの訴訟が重しになったのではないかなと思います。地権者として立ち上がろう、ということで榎本さんがこの訴訟を起こした大きな意議がここで、まさしく発揮されたという風に思います。
3、放射能の影響を認めた一審判決の意義
それから、もう一つこの訴訟で思い出しますのは、2002年12月8日ですが、やはり今日のような氷雨の日に現地でビデオ撮影を行ったことです。土地の境界の問題が争点になっているために、裁判所から、「現地のビデオを、検証ビデオを作ってきてください。」と原告被告双方に宿題を出されました。当日は、地区の方、榎本さんも弁護士も権代さんも、それから支援の皆さんも来ていただいて、土光(均)さんが撮影して下さった。
皆さん総出で、ほんとに冷たい冷たい雨の中でですね、権代さんが説明しながらですね、ふるえながらビデオを撮影したということを思い出します。そういったいろんな訴訟の経過を経て今日があると思っています。
また、この一審判決の意議ですが、さきほど妻波先生もおっしゃいましたが、290立方メートルに関して撤去を命じるについては、もちろん土地の上に残土自体が置かれること自体がいけないということもありました。けれども、ウラン残土の放射能の影響が否定できない以上、そういうものが置かれている土地の上で、人が長期間滞在するというのはですね、健康に対する懸念や恐怖を感じて、滞在が不可能なんだということをはっきり言ってくれた、というのが非常に大きな意義だったと思います。
これまで往々にして公害の裁判では、確定的な影響、はっきりした影響が認められないじゃないかと、単なる懸念に過ぎないじゃないかということで、訴えが認められない例が多くありました。けれども、榎本さんの訴訟では「影響が否定できない以上、本当に人は心配で、そこに滞在できないんだ、土地は使えないんだ。」ということをはっきり言ってくれた。
ほんとに当たり前のことなんだけど、当たり前のことを当たり前に言ってくれた。それを言ってもらうために、小出先生には再々再々意見書を書いていただいたのですが、この判決というのは、人間が当然に持つ放射能の影響に対する懸念というものを正面から認めてくれたという点で、法的に見ても非常に意味のある判決であったのではないかと思います。
4、核燃料サイクルの負の遺産に向き合って
最後になりますが、今回、ウランの鉱山から出た「ウラン残土」という、核燃料サイクルの一番上のところの負の遺産が、ずっと放置されていたという問題について、皆さんと一緒に取り組みをさせていただき、撤去を実現させるという運びになりました。
このような負の遺産をめぐりましては、これまで、例えば地域の人を分断させる、それから交付金だとかいろんなお金をばらまいて、人の心を買おうとするというふうなことがやられてきたと思います。
これからも、もしかすると同じことが繰り返される可能性があります。従って、ウラン残土そのものが最終的に県外に撤去されるまで、私たちは最後まできちんと監視しなければいけないと思います。
今後、核燃料サイクルの一番下流の高レベル放射性廃棄物の問題をめぐっても、負の遺産ということで、同様に地域の人を分断させたり、お金で、というような問題がいままさに起こってきています。例えば、高レベル放射性廃棄物の処分場の調査に公募して手を挙げれば、いくらお金をあげますよということが行われています。
そういう意味で言うと、核燃料サイクルの一番上流で起きたウラン残土の問題に、この狭い地域で、方面の地域の人たちが、自分達の暮らしの安全を守るために「撤去せよ」と立ち上がってきた。そのことは、これから起こるであろう、高レベル放射性廃棄物も含めて、核燃料サイクルを巡る負の遺産の問題に、どう地域の人たちが向き合っていくかということの、非常に大きなお手本になったのではないかというふうに感じております。
最後に改めて、榎本さん、それから、小出先生、みなさん、ご苦労様でした。
【編注】本稿は12月11日のウラン残土訴訟を支える会の総会をもとに、水野彰子さんご自身が加筆・修正を加えられたものです。
|