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1、榎本さんの思い
車の両輪としての榎本訴訟と自治会訴訟の位置づけ
皆さんこんばんは。最初に、こういう場面に立ち会わせていただいたことに、深く感謝いたします。榎本さん、本当に長い間ご苦労様でした。小出先生も、最初からのおつきあいで、色々とご協力いただきまして本当にありがとうございました。
裁判は、原告本人と支援する市民の方々のグループ(科学者も含む)と弁護団の三位一体といいますか、緊密な連携のもとに訴訟を提起し、かつ、継続し、終結を迎えるということが望まれているわけです。
本件の場合は、6年間にわたる訴訟でしたけれども、幸いなことにほとんど違和感なく皆様方のお手伝いができたと感じています。そういう意味で皆様方に改めて感謝を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
さきほどから榎本さんがお話になっていますように、榎本さんの思いと訴訟の流れが、暦年表といいますか時系列表に載っていますように、やはり榎本さんの思いが、この訴訟の一番大きな原動力になってきた、という風に私は理解しています。
最初に、私たちが訴訟を提起してほしいというお願いをされてきたときは、実はまだ自治会の訴訟は提起されていなかったような状態でした。それで、場合によっては方面区の方から依頼を受けて訴訟をすることが可能ではないか、ということも模索した時期もありました。
さきほど出ていました松永さんから事実関係をお聞きしないといけないとか、あるいはダンボール箱で何箱か、結構な資料があるのでそれを読み込まないといけないとか、そういうお話をするうちに自治会の方の訴訟が先行して、提起されるという話になりました。
そこで、今度は榎本さんの訴訟は、どういう形で組み立てて戦略を立てるか、ということが問題になりまして、弁護団と榎本さんと支援の方たちの間で、自治会訴訟の方は契約に基づく訴訟を提起している、それで私たちはそうでなくて榎本さんが所有している土地 ― さきほど出ていました清水さんから譲ってもらわれた土地の所有権に基づいて訴訟を提起する、という違いをきちんと位置づけて訴訟提起するということにしました。
もう一つの視点は、自治会訴訟が途中で、さきほど榎本さんがお話しされましたように、現地からの全量撤去ではなくて一部の撤去だとか、あるいは撤去の期限が明確でないような撤去の仕方での和解がひょっとしたらあり得るかも知れない、そのときには、やはり榎本さん訴訟をきちんと最後まで全面解決へ導くことが、結局は、こちらの目的である、それによってこの方面地区から放射性廃棄物をきちんと撤去して良好なもとの環境に戻すという榎本さんの思い、あるいは方面地区の人たちの思いを実現することになるのではないか。
そういう意味でこの二つの訴訟は両立するものでもあるし車の両輪でもある。と同時に、自治会訴訟を言葉は良くないかもしれませんが、牽制する、自治会訴訟で変な和解はさせないぞ、いうことで榎本さんの訴訟を位置づけることによって、私たちなりに榎本さんのそういう思いとその裁判の持つ意義を確認して訴訟を提起することを決意したわけです。
2、放射能の科学論争における小出先生の役割
その過程で、もう一つ問題になったのは、さきほどから出ています小出先生のご協力の問題です。小出先生に親しい土井さんの方から接触してもらった経過がありますけれども、どうも小出先生は良心的な先生であるがゆえに、裁判所に幻滅をお感じになっておられました。
裁判所というのは信頼できないから、自分は協力しないというようなお話を聞きまして、それでもダメで元々で本件の場合は、放射能の科学論争は避けては通れないけれども、それだけではなくて他人の土地の上に廃棄物を勝手に置いて撤去しない、この動燃の違法な廃棄物の放置を土地所有権に基づく訴訟で追及するのがメインである。
そこの科学論争で勝ち負けと言うことはあり得るかもしれないけれども、原則は土地所有権に基づく返還請求権である、自分の土地を返してくれ、違法なあるいは危険な放射性廃棄物を撤去しろ、そもそも他人の土地に勝手に入り込んで勝手に置いている、契約関係も何にもない違法な放置物を撤去するということだから、この主張には当然法的な権利がある。
この私たちなりの位置づけと同時に、そのようなお話を土井さんを通じて小出先生の方に申し上げましたところ、「じゃ、そういうことであれば協力しよう」ということで、ご協力いただいたのが泥沼への始まりでして、一審で4回も意見書をお書きいただき、「もう、うんざり、うんざり」と言われながらも最後までご協力いただいて、高裁でもまた4回も「これが最後、これが最後」と結果的には偽りのお約束になったかもしれせんけれども、最終的には合計8回も意見書を出していただきました。
小出先生には多大なご協力をいただいて、それが、結局、一審の判決につながっていると思っていますが、同じことを論じている学者でも、一方では動燃(今は日本原子力研究開発機構になっています)の立場を擁護する立場もあれば、そうではなくてやっぱり真実を追求される小出先生のような立場もある、ということが裁判官にも分かってもらったのではないか。
つまり、科学の中で明らかになっていることと明らかになってないことがある、その中で明らかになっていることはいかなる立場をとろうとそれは否定できない科学的な知見であり、放射能というのは微量でも必ず人体に影響があるんだ、ということを中学生にも分かるような書面で小出先生にはっきりと主張していただきました。
非常に単純明快といいますか、これぞ科学者の一番共通の最新の科学的知見だということをきちんと言っていただいて、そのうえで、なおかつ、それを受容するかどうか、それを受忍するかどうか、そういう危険性のある放射能を受容するかどうかは、あくまでもその目線と判断、被曝を受ける地域住民に置くという、それこそ非常に明快で、なおかつ、あるべき立場、弱い人の立場を代弁する意見書を書いていただきました。
さらに、本当に危険でないのであれば、じゃ核燃の人たち(職員)に全部もっていってもらって、自宅に持って帰ればいいじゃないか、ということまで書いていただいたということがありました。
そういう意味では、どんな裁判もそうなんですけれども、さっき申し上げましたように、運動体と科学者の協力が必要で、法廷の中と外とで連携を組みながら訴訟提起をし、遂行していく、あるいは問題点を社会に広く広めるという活動が、こういう結果をもたらした。榎本さんの訴訟は、高裁では残念ながら負けてしまったんですけれども、一審の判決に結びついて、なおかつ学者というものもやはり良心的な学者の方と、そうでなくて真実を見ない学者がある、ということとが裁判所に明らかになったと思います。
とにかく小出先生には大変なご努力ご尽力を願い、ストレスがずいぶんたまったと思いますけれども、ご協力をしていただいたことに大変感謝しています。それらを通じて榎本さんの思いが私たちにも共有できたと思います。
3、原子力機構の証拠隠しと高裁判決の内容
訴訟をして勝つか負けるかというのは、正直なところ弁護士にもなかなかわからない部分があります。だからといって難しいから、負けるかもしれないから止める、という訴訟ももちろんありますけれども、そうじゃなくて、榎本さんは正しいことを訴えている、これはやっぱり絶対勝たないといけない、勝てる裁判あるいは勝たなければならないということで、お受けする事案・事件もあります。
本件については、それまでの経過から少なくとも榎本さんの土地の上に、他人の動燃が勝手に置いた、契約も何もなく勝手に土地の上に置いたものを撤去することを求めるというのは、今の日本の法治国家では当然のことだ。そういう固い私たちなりの思いがあった中で、なおかつ危険なものを撤去させる、放射能の危険性の論争は自治会訴訟ではされなかったわけですけども、私たちはそういう危険性のことも含めてそれなりに独自性を持って、榎本さんの訴訟に臨んだという経過であります。
そして、ご存じのように、さきほど榎本さんが言われましたけれども、それまで動燃・核燃も含めて、フレコンバックが置いてあるのは榎本さんの土地ではないとひと言も言っていないんです。それに関する文書もない、口頭の話もない、文書での回答もない。
それはどういうことかと言いますと、逆にフレコンバックが榎本さんの土地の上に存在していることを重々知りながら、それをあえてこの裁判では隠して、土地測量の専門家である土地家屋調査士さんを通じて別の図面を作り出して、この訴訟の引き延ばしを図ったという経過があるわけです。それが高裁でさきほど出ていました、新しく証拠が見つかったというところなんです、それがもっと早い段階で見つかっておれば、おっしゃるように一審の段階であんなに時間がかかることはなかったという風に思っています。
高裁では請求の趣旨の拡張をして、慰謝料の増額を求めたんですけれども、訴訟手続き上請求の基礎が同一ではないということで、別の訴訟は可能なんですけれども、同じ訴訟の中で引き延ばしたことによって、榎本さんが蒙った損害としての慰謝料請求は認められないという結果になってしまったんです。それは、慰謝料をも求める権利としてはあるけれども、高裁では請求の趣旨の拡張という形では認められない、ということでありました。だからといって動燃の行為が正しいと認められたわけでは決してありません。
まあ、「嘘つき動燃」とか「証拠隠しの動燃、核燃」とか言われていますが、この裁判でもその体質が出てきたと考えています。いま中国電力が岡山の方のダムの関係でデータ改ざんをしていますけれども、そのデータ改ざんも内部告発で出たというここで、いま大変問題になっています。同じように大企業は、国策といわれるようなことをやろうとする時には、必ず真実を隠そうとしている。それがやっぱりこの事件でも出てきたという風に私たちは判断しています。
そういう核燃に振り回されたことの榎本さん本人の核燃に対する思いは、私たちは一生忘れてはならないと思いますし、榎本さんは上告を断念された過程でも、権利の行使は留保する、今後の誠意ある全量撤去、一日も早い全量撤去を見守っていく中で、権利を行使するかどうかは考えたいというような留保付きの上告断念を発表されましたので、私たちも引き続いてこの全量撤去が一日も早く終わるかどうか見届けたいと思っています。
きょう現場に行って、「ほんとに平成二十何年したら撤去されますか」と動燃に聞いたら、「いや、あの、撤去しないということは想定していません」と言ってました。結局、本件の場合も、関係自治体の協力によりながらと言いながら、できるだけ早く一日も早く撤去する、稲作の収穫が終わることまでにすると言って、何年も引き延ばすということは想定していなかったと思うんです。そういう想定してなかったことが現実には16年もかかってしまいました。
それで、ようやく実現したということの中に、彼らは、依然としてこの裁判を真摯に受けとめているのかどうか、あるいはさき程出ていましたように、県知事の後押しがあったとはいえ、今後どうなるかと言うことは重要な問題だと思いますので、このような問題を皆さん方の支える会の今後の課題としても是非注目して、見守っていっていただきたいという風に思います。
弁護団としても微力ではありますけれども、できるかぎり皆様方と一緒におつきあいをしていきたいと思います。訴訟の経過と中身については、守る会のニュースとかいろいろ記されていますので、機会があれば読んでいただいたり、あるいは場合によっては何かの形でまとめて、総括したいと思っています。
4、権利のための闘争を地でいかれた榎本さん
権利のための闘争ということでは、榎本さんが訴訟提起の一年前の12月1日に、高濃度の放射能を含有している一袋のフレコンバックを、きょう現地で見させていただいた人形峠の正門の玄関の前に置かれたのは、非常に象徴的なことだと私は思っています。そういう実力行使というか自力救済をされる中で、場合によっては刑事事件や不法行為責任を問われるかもしれない、放射能が漏れているものを自分でそこまで持って行かれる、この命がけの思いを私は非常に強く感じ、約100年前の田中正造さんが足尾鉱毒事件で天皇に直訴されたことを思い出しました。
そういう人間の尊厳と命をかけた闘いを榎本さんはしてこられているわけですが、自分が国策に協力した採掘の中での健康被害の問題と、自分自身が国策(原子力政策)に協力したことの加害性と健康被害の被害性に気づかれた後に、自分の行った行為によって動燃が廃棄物を放置した責任を自分なりに感じられて、それを後世の次世代に、放射能汚染のない良好な環境を引き継ぐという、非常に崇高な想いをこの訴訟で実現されようとした。私たちは法律家としては微力ではありましたけれども、それに応えていかなければならない責務があるんじゃないか、という思いで私はこの訴訟に取り組んできたつもりであります。
ドイツの法学者でイェーリングという人がいますけれども、その人が「権利のための闘争」ということについて、権利の目標は平和であり、そのための手段は闘争である、全ての裁判は闘いを通じて勝ち取られていくものだということを、ある講演で言われたこと(同名の書籍になっています)を私たちは学んでおりすけども、まさにそれを地でいかれた榎本さんの行為、あるいはされにそれを支えていただいた小出先生、皆さん方のご支援に改めて感謝します。
わたしたち弁護士というものは、自ずと限界があります。裁判にも限界があります。限界がありながらも、あきらめてはいけないじゃないかと思います。一つずつ地方裁判所でいい判決を勝ち取って、それを高裁で認めさせていく、仮に最高裁で逆転になったとしても、少しずつ主張を展開していく。事実をきちんと固めて、法的な主張もこれまでの判例の踏襲じゃなくて、プラスアルファの当該事案に即した主張を展開していく。そういう中で少しずつ社会が変わっていく。行政ができなかったことを、やっぱり司法の場で実現する。そういう闘いだったと思います。
それも傍聴席を含む訴訟の中だけでなくて、皆さん方が法廷の外で、あるいはメール、ニュースを出される中で、マスコミの公表も含めいろんな角度から応援していただいた、支援していただいたということが、大きな支えになったのだと考えます。
大きな力、権力者を相手にして長い間闘ってこられた皆さんとともに、今日の結果をともに喜び合いたいと思います。あまり総括にならないような話でしたけれども、改めてこの訴訟に関係させていただいたこと、多くの人と出会い、学ばせていただいたことに感謝を申し上げまして、私の報告とさせていただきます。
【編注】本稿は12月11日のウラン残土訴訟を支える会の総会をもとに、妻波俊一郎さんご自身が加筆・修正を加えられたものです。
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