映画『ジャビルカ』のデヴィッド・ブラッドベリ監督が

人形峠と方面地区のウラン残土を取材

                 2006年8月13日

                    ウラン残土訴訟を支える会

土井淑平

 オーストラリアのウラン鉱山についての映画『ジャビルカ』(1998年)の監督デヴィッド・ブラッドベリさんが、広島で開催された劣化ウラン弾の国際会議に出席した直後の8月7日、榎本益美さんとわたしの案内で人形峠と方面地区のウラン残土を取材しました。
 映画『ヒバクシャ ― 世界の終わりに』や『六ヶ所村ラプソディー』を監督した鎌仲ひとみさんからのメール、そして、トランズネットの澤田美和子さんからの電話で案内を引き受けた榎本さんとわたしは、7日昼ごろ人形峠の近くでブラッドベリさんと通訳の澤田さんと落ち合い、榎本さんの車でまず岡山県側の中津河地区のウラン残土堆積場へ。
 人形峠周辺のウラン鉱山の概要を澤田さんを介してわたしから聞いたブラッドベリさんは、サンダル履きと半ズボンの軽装で中津河地区のウラン残土堆積場を精力的にカメラに収めて回り、このあと人形峠の日本原子力研究開発機構人形峠環境技術センターのPR館を訪れました。
 続いて、ウラン残土2710立方メートルの搬出準備中の鳥取県湯梨浜町の方面地区を訪ね、原子力機構が3日後(10日)の搬出開始に向けて作業中のウラン残土堆積場の現場を榎本さんの案内で取材し撮影しました。すでに方面地区では立木の大半が伐採され、撤去対象のウラン残土2710立方メートルのごく一部がポリエステル製の黒い袋に詰められて、いわば搬出待ちの状態でした。
 ブラッドベリさんは堆積場での作業などを熱心にカメラに収め、290立方メートルのウ ラン鉱石残土が昨年米国に搬出された榎本さん所有の土地を見下ろす高台で、ウラン採掘当時の話などをくわしく聞きながらカメラを回し続けました。
これまで何度も異常に高濃度のラドンが検出された方面下1号坑の坑口前では、榎  本さんが持参してきたサーベイメータの針が振り切れるのを観察しながら、土のうと草に覆われた坑口の状態を取材したあと、「榎本さんの話はオーストラリアの人たちに伝えたい」と案内と説明に感謝しました。
 半日足らずの急な短い日程でしたが、広島に帰るバスの便がなくなり列車に切り替えてまで、日本のウラン鉱山の取材と撮影に時間をとって粘りに粘るるブラッドベリさんの真摯な姿勢はさすがで、日本のウラン採掘当時の状況を証言できるほとんど唯一の人物にして、方面地区のウラン残土撤去運動の先頭に立ち続けた榎本さんとの出会いは、まことに感動的でもありました。
 わたしたちウラン残土訴訟を支える会に結集した市民グループは2001年5月から11月にかけて、方面地区のウラン残土撤去運動の支援活動の一環として、鳥取市でブラッドベリさんの映画『ジャビルカ』を取り上げ、『ブッダの嘆き』『ホピの予言』『リムーザン地方のウラン』『核燃料サイクル 下北核半島からの報告』などと共に上映しました。
 そのジャビルカはオーストラリア北部の世界遺産に登録されているカカドウ国立公園内にあるウラン鉱山の土地で、この鉱山の採掘はきわめて深刻な環境問題を引き起こすとして、先住民のアボリジニや環境団体の反対運動を展開してきました。ジャビルカ鉱山の開発には日本の電力会社(関西、九州、四国電力)が投資し、そのウラン鉱石の半分近くは核燃料となって日本の原発で使われると見られる、といういわくつきの鉱山開発だったのです。
 くわしい紹介もなく「オーストラリアの著名な映画監督さんが人形峠のウラン残土問題を取材したい」と鎌仲さんからメールをもらい、人形峠の近くでブラッドベリさんを出迎え澤田さんの通訳で『ジャビルカ』の監督と知って、あまりの奇遇に驚いた次第でした。以下で、その人形峠と方面地区の案内・同行のスナップ写真の断片を紹介します。


中津河ウラン残土堆積場前

ブラッドベリ監督(左)と澤田美和子さん(右)

方面ウラン残土堆積場で

 榎本益美さんの土地を見下ろす高台でカメラを構えるブラッドベリ監督

方面下1号坑の坑口前で


 サーベイメータ持参の榎本益美さんの話を        聞きながら撮影するブラッドベリ監督