=報告=

ウラン残土290立方メートルの撤去作業始まる

だが、初日から労災事故で作業中断

 2005年8月29日

                 ウラン残土訴訟を支える会

核燃が思わぬ労災事故で初日からつまづく

 最高裁決定で撤去命令が確定した鳥取県湯梨浜町(旧東郷町)のウラン残土3000立方メートルのうち、フレコンバックに袋詰めの290立方メートル(551袋)の撤去作業が、8月29日から方面地区のウラン残土堆積場で始まりました。米国への搬出と処理の経費は6億6000万円ということです。

だが、核燃料サイクル開発機構はこの日に向けて、前日にウラン残土の試し掘りと運搬の予行演習までしていたにもかかわらず、作業開始まもなく残土を積んだキャタピラーから運転手が袋ごと投げ出され、けがをして病院に運ばれる労災事故が発生しました。

このため倉吉署が出動し労災事故で現場検証する意外な展開となり、この日は33袋搬出の予定がのっけから8袋で中断し、東郷ダムの事務所跡でスチールコンテナに詰めのこの8袋だけ10トントラックに積み替え神戸港に向かいました。初日からのつまづきで核燃は事故の再発防止のため搬出作業はしばらく中止すると言っています。

方面地区のウラン残土堆積場からの290立方メートルの搬出作業は、29日午前8時30分から総勢100人を動員して開始されました。核燃本社の石村毅理事が詰めかけた方面地区住民・関係者・マスコミの前で、「これまで長い間ごめいわくをかけ、地元の皆様、方面地区の皆様に、心よりおわびを申し上げたい」と挨拶して作業に入りました。

ところが、8袋目のウラン残土をグレーン車で吊り上げ、キャタピラーに積んで急坂の山道を下る途中で、キャタピラーが前のめりになって運転手が投げ出され、約900キロのフレコンバックの袋も20メートル下まで転げ落ちる、というとんだハプニングが発生したのです。運転手は軽傷を負って倉吉市内の病院に運ばれ、打撲とねんざの治療を受けました。

現場は別件のウラン残土撤去訴訟の原告である方面地区の榎本益美さんが、法務局の公図と現地測量を照合する重要な基準点の1つと主張する夫婦松の石の祠のすぐ近くで、核燃は原告側の主張と図面の否定にやっきですが、榎本さんは「山の神が怒ったのだ」と話しています。

撤去によせて方面地区の住民や知事がそれぞれ意見

この日のウラン残土搬出作業について方面地区の近藤明区長は、「(290立方メートルは)全体量の10分の1だが、われわれは撤去を訴えていたので、それが今日実現するのは、率直に言ってうれしい。早期撤去による人形峠での処理が実現されなかったのはいかにも残念だが・・・」とインタビューに応えました。

別件の独自の訴訟でもウラン残土の撤去を核燃に迫っている榎本益美前区長も、「今回のウラン残土は『残土』『残土』言うけど、もともと東海村で処理すべき鉱石が残ったものである。本来は人形峠で処理し安全にしてくれるのが一番で、アメリカへの搬出は税金の無駄遣いと感じる。残りの2710立方メートルの残土について、また核燃の先送りの意図が見え隠れするが、判決でも撤去が確定している以上、撤去してもらわないといけない」と強調しました。

方面地区のウラン残土撤去訴訟を物心両面から支えてきた鳥取県の片山知事は記者会見で、「少し時間がかかったが、最高裁で確定された判決の一部が履行されるのは、一歩前進だ。残余についても、判決の趣旨に沿って撤去してほしい。最善の選択はすぐ近くにある人形峠への撤去だが、なぜコストと手間のかかることをしなければならないのか、核燃は明らかにすべきだ」とコメントしました。

1988年のウラン残土の放置発覚当初から足掛け18年、京大原子炉実験所の小出裕章さんらとウラン残土の環境汚染調査を続けながら、方面地区の住民を側面から支援し撤去を訴えてきた私たちウラン残土訴訟を支える会も、石田正義代表はじめ5人のメンバーが参加して、現場で声明「ウラン残土の一部撤去の作業着手によせて」(別掲)をマスコミの取材記者に配布し作業を見守りました。

米国搬出でも核燃の閉鎖的な体質目立つ

なお、さきにも触れたように、本日の290立方メートルの撤去作業の現場は別件のウラン残土訴訟で榎本益美さんが「大半が自分の土地にある」と主張している場所です。ご記憶の方も多いと思うが、1999年12月1日深夜から2日未明にかけて、榎本さんが支援の仲間とともにフレコンバック1袋を自力で掘り上げ、岡山県鏡野町(当時は上斎原村)にある核燃人形峠環境技術センターまで自主搬入の実力行使に出た原点の場所でもあります。

その榎本さんの別件訴訟は、ウラン残土訴訟を支える会のホームページでも順次報告している通り、いま広島高裁松江支部で控訴審を継続中で、あさっての8月31日には第3回口頭弁論が開かれ、小出裕章さんが放射線被曝について最新の重要な意見書を提出します(これは追ってホームページで公開します)。

本日の報告の最後になりましたが、核燃は290立方メートルを10月上旬にもコンテナ船で米国に搬出すると言っていますが、その米国での製錬の契約を結んだ民間会社については、「守秘義務」を理由に一切伏せたままです。それどころか、米国に搬出する日本の港の名前すら、すでに複数のマスコミで神戸と公けにされているのに、これについても「公表できない」と閉鎖的な体質を見せつけています。

最高裁で撤去命令が確定している残りのウラン残土2710立方メートルについても行く先は不透明です。それゆえ、本日の290立方メートルの撤去の着手をもって、方面地区のウラン残土問題が解決するということにはなりません。これからが本番といえるので、私たちも3000立方メートルの完全撤去まで、気持ちを引き締めて臨む覚悟です。

〔追記〕 9月2日

核燃はフレコンバックの落下場所の路面を整地し運搬車を大型クローラダンプ(容量4.5トン)に変更して、9月1日からウラン残土の搬出作業を再開しました。

  事故現場の傾斜角度は18度でしたが、搬出路のなかで傾斜角度の最も高い所は21〜22度もあったため、核燃は30度の傾斜に耐えられる大型クローラダンプに切り替えました。

 ウラン残土は10月上旬に米国の西海岸に向けて神戸港から搬出される予定だそうです。

 290立方メートルの搬出にさいして

肝心の地権者に了解を求める挨拶も説明もなし

     榎本さんが核燃人形峠の総務課長に口頭で抗議

2005年9月3日

 鳥取県湯梨浜町方面地区のウラン残土のうちフレコンバック詰め290立方メートルを搬出する作業が始まったが、8月29日付の報告でも指摘したように、このフレコンバックの土地(坂根314−3)は別件の訴訟で榎本益美さんがウラン鉱石残土として撤去と土地明渡しを求めている土地である。

 核燃はこの290立方メートルの作業の開始に当たって、方面地区や湯梨浜町などには撤去の計画を説明し協力を求めたが、いまだ肝心の地権者の榎本益美さんに挨拶も了解を求める説明もしていないのは遺憾である。この問題で榎本さんは9月2日、フレコンバック落下の事故原因の説明と作業時間の延長の要請のため方面地区を回った核燃人形峠環境技術センターの総務課長に強く抗議した。

 いかにも、核燃は榎本さんを原告とする別件の訴訟で、榎本さんの土地を坂根314−3から大きく北側にずらした図面を提出し、遺憾なことに鳥取地裁の一審判決は核燃側の図面が妥当だとして、榎本さん側の図面と主張を斥けたが、この一審判決をめぐっては広島高裁松江支部で現在係争中である。

 係争中ということは、現時点で核燃側の図面が法的に認められたということにはならず、げんに榎本さん側は控訴審で核燃の図面の致命的な矛盾を指摘し、土地の位置についての一審判決の判断は間違いなくくつがえる、と私たちは確信している。(本ホームページ1月28日の第1回口頭弁論報告「榎本さんの弁護団が核燃の図面の致命的誤りを暴露」参照)

 榎本さんは別件訴訟に先立って、1999年12月6日、2000年7月13日、2000年8月23日の3回にわたり、ウラン鉱石残土の撤去以外の目的での核燃職員の立ち入りと土地の改変を禁ずる配達証明付きの通告書を核燃宛てに送付しており、この土地からウラン鉱石残土を撤去するには、係争中とはいえ地権者の榎本さんに一言の挨拶と説明があって然るべきであった。

 むろん、榎本さんは方面地区の自治会の副区長でもあり、自治会の1員として290立方メートルの搬出にも賛成しているので、かりに核燃が了解を求めてきたとしても、これに反対することはあり得ないが、最低限の手順と礼儀くらいは踏まえてほしい。この非礼と常識はずれの核燃の行為については、私たちウラン残土訴訟を支える会も榎本さんの抗議を当然と考える。

【追記】榎本益美さんによると、核燃の総務課長に抗議した結果、黒沼長助所長が後日榎本さん宅を訪ね、「挨拶すべきだったのに、失礼していた」と挨拶に来たそうです。


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