原子力の魔法を解く市民科学者の2著
久米三四郎著『科学としての反原発』(七つ森書館、2010年8月)
小出裕章著『隠される原子力・核の真実』(創史社、2010年12月)

2011年1月21日
土井淑平(ウラン残土市民会議運営委員)

原子力の妖怪が世界を徘徊している
 一つの妖怪が世界を徘徊している ― 原子力という妖怪が。世界のあらゆる政府が、この地球汚染をもたらす妖怪を祭り上げ、地球温暖化防止の切り札との巨大な迷信のデマを担いで、滅びへの道に突き進んでいる。
 わが東海の島国の珍奇な民主党政権に至っては、ベトナム・インド・マレーシア・カザフスタン・クウェート・ヨルダンなどへの原発輸出を画策し、かつての自民党政権も顔負けの厚顔無恥の図々しさで、政権の幹部たちが原発のセールスマンに突如変身、世界への原発の売り込みの先頭に立つ有様だ。
 わたしたちの足元では、中国電力が山口県上関町で原発予定地の田ノ浦で埋め立て作業に強行着手し、カヤックに乗り体を張って抵抗する祝島の住民らに押し返されながら、文字通り一進一退の攻防を繰り広げているが、それはさながら重火器や大砲をもった侵入者に立ち向かう、かつてのアメリカの先住民の戦いを思い起こさせる。
 いささか案内が遅れて恐縮ながら、世界でも日本でも猛威を振るうこの原子力の魔法を解く、市民科学者の著書が相次いで刊行されたので紹介したい。それは久米三四郎さんの遺稿集ともいえる『科学としての反原発』、並びに、小出裕章さんの新著『隠される原子力・核の真実 』の2著である。
 久米さんと小出さんは、わたしたちが20年来取り組んできた鳥取・岡山県境の人形峠周辺のウラン残土問題で何度も現地に足を運び、資料の測定や活動の方向などで貴重な助言と協力をいただいたが、今回の新著はいずれもそのウラン残土問題にも言及しつつ、各地の住民が直面する切実な原発の問題を取り上げ、隠された原子力の魔法を解き明かした待望の好著である。

久米三四郎著『科学としての反原発』に寄せて久米三四郎「科学としての反原発」
 久米さんの『科学としての反原発』は、冒頭で原発の安全神話を打ち砕いた1979年3月の米国のスリーマイル島原発事故と1986年4月の旧ソ連のチェルノブイリ原発事故、という2つの巨大事故を俎上に事故の原因を分析した。
 まず、スリーマイル事故では原子炉内から冷却材の水が失われ、炉心が空だき状態となって炉心崩壊と水素爆発を起こしたが、これは水を冷却材に使う軽水炉の“綱渡りの技術”の“泣き所” を示すものだとして、原発の安全神話を失効させたそのカラクリを噛み砕いて説明している。
 一方、文字通り地球汚染をもたらし日本も食品の輸入規制に踏み切らざるを得なかったチェルノブイリ事故は、商業用の原子炉としては世界で最初の暴走事故で、暴走事故は緊急炉心冷却装置(ECCS)が働く間もなく、近くの住民は避難する時間もなく、事故発生と同時にものすごいホットな放射能に汚染されると前置きし、運転員の規則違反が事故原因とするソ連の報告書を逐一批判しつつ、無事故記録の過信ないしは大事故は起こらないという思い込みこそ真の原因だったと指摘している。
 久米さんは市民科学者として御用学者に立ち向かい、伊方原発訴訟や高速増殖原型炉「もんじゅ」訴訟に深くコミットしてきた。伊方訴訟の審理が高松高裁で始まって間もなくスリーマイル事故が発生し、さらに最高裁に上告中にチェルノブイリ事故が発生したが、裁判所はいずれも二大事故は日本の原発に直接関係しないとして、住民の訴えを退けた。この20年に及ぶ伊方の長期訴訟の経験から、久米さんはもし裁判を起こす場合は「違ったやり方」が必要だとの認識に達した。
 「もんじゅ」訴訟は一審の福井地裁で2000年3月に敗訴、2003年1月の名古屋高裁金沢支部の控訴審判決で住民側が逆転勝訴、2005年5月の最高裁判決で再逆転敗訴、という異例の経過をたどった。1995年12月の「もんじゅ」のナトリウム火災事故を受けて、福井地裁で行った久米さんの証言は、市民科学者として面目躍如たるものがあるが、「もんじゅ」の控訴審を通して学んだこととして、@これまでの裁判では、「違法」かどうかを裁く裁判官に、「危険」の判断を迫ってきたことは誤りであったA「違法」かどうかを判断するのに欠かせない法律的な枠組みについて、これまで不勉強であった ― との2つの教訓を挙げている。
 人形峠周辺のウラン残土問題に長年取り組んできたわたしたちにとって、本書のなかで当時もいまも変わらずもっとも重要かつスリリングなのは、「ウラン残土の山に教えられたこと」という1990年9月の中国地方住民運動合宿における久米さんの講演である。これは鳥取県東郷町(現在の湯梨浜町)の方面(かたも)地区のウラン残土撤去運動をめぐって、原子力開発の発端にあったウラン残土の山(ウラン廃棄物)を見逃していた研究者としての自分の反省をまず語り、すでに始まっていた鳥取と岡山の“核のゴミ戦争”の最中に、しかも両県の威勢のいい活動家たちが参加した現地の合宿において、自らの見解を妥協なく堂々と表明したものである。
 この講演で久米さんは、「これまでの住民運動は火の粉を払う、払っておけばその矛盾はどこかで解決するということでやってこられた」が、原発を何十基も許してしまった現在、「火の粉を払えばその火の粉はどこかにふりかかるという条件が出てきている」「はっきりいいまして、運動同士がどつきあい(なぐり合いのこと)をするという局面がでてくる。国内でうまくやっていても外国の人をどついていることになる」と指摘し、「鳥取・岡山の“核のゴミ戦争”はいろんな運動の中であっちこっちに出てくる」だろうと警告した。
 この鳥取・岡山の“核のゴミ戦争”では、わたしもまた一方の側で最先端をいく急進派の1人であったが、久米さんの講演からまぎれもない政治的なリアリズムをキャッチし、闘争にして同時に連帯を意味する古代ギリシャのアゴーン(競技)、あるいはまた、社会闘争こそ連帯を生み出すとするL・A・コーザーの見解などに思いをはせ、住民運動が仲良しクラブから脱して痛みを分かち合わなければならない状況を重く受け止めた先見の明ある指摘だと感じたものだ。
 久米さんの政治的なリアリズムがどこからくるかについては、1989年3月の「科学者の社会的責任を考える集い」における「反原発への道」という講演、および、和田長久さんの「評伝 反原発運動の始まりと久米三四郎さん」にヒントが隠されているように思う。戦後の左翼運動や組合運動を自らくぐり抜け、ベトナム反戦運動や大学闘争のなかで阪大のバリケード封鎖を批判しつつも学生とともに座り込みを続け、その座り込みのなかでJ・D・バナールの『歴史における科学』の読書会を組織したあたりに、市民科学者としての久米さんのしたたかな認識と強靭な粘り腰を見るのはわたしだけではあるまい。

小出裕章著『隠される原子力・核の真実』に寄せて小出裕章著『隠される原子力・核の真実』
 一方、小出さんの『隠される原子力・核の真実 』は「原子力の専門家が原発に反対するわけ」のサブ・タイトルで、高度経済成長の上昇期の高校時代から「原子力の開発に命を捧げよう」との決意をもち、東北大学の原子核工学科で原子力を学び始めてすぐ、その選択の間違いに気付き反原発の道に突き進んだ市民科学者が、なぜ原子力に反対し続けるかを専門のデータに基づき平易に解説した好著である。
 まず、小出さんは1999年9月に茨城県東海村で起きた核燃料加工工場(JCО)の臨界事故を取り上げ、この事故では体温を1000分の2〜1000分の4度上昇させるだけのエネルギーを受けたただけなのに、放射線が生命体の分子結合を切断・破壊する作用をもつがゆえに、労働者が悲惨な死を遂げざるを得なかった被曝のメカニズムを解き明かし、低線量被曝は免疫効果を活性化するというホルミシス説も含めて、「少ない被曝は安全という妄言」あるいは「低線量被曝は安全むしろ有益」とする神話を批判する(ちなみに、ホルミシス説は御用学者によって鳥取県三朝町のラジウム温泉の効能の宣伝に使われているが、これはまったくのデマでありラジウム温泉・ラドン温泉は本来危険なものである)。
 ついで、小出さんは原爆の材料となったウランやプルトニウムの核分裂反応に説き進め、米軍が湾岸戦争やユーゴ紛争やアフガン戦争やイラク戦争で使用した劣化ウラン弾の使用実績のデータを挙げ、兵士だけでなく周辺の住民を被曝させる劣化ウラン弾の禁止を訴える。
 さらに、世界の核開発先進国がすべて撤退し放棄した高速増殖炉にいまだ日本がしがみついているのは、それが無用の長物で無駄の典型であるにもかかわらず、「核燃料サイクル」なるデマ宣伝のもと、高濃度の核分裂性プルトニウムを生み出す高速増殖炉を核兵器開発の担保として温存したいからとしか考えられないが、その根拠を小出さんは分かりやすく解説している。
 加えて、使用済み核燃料の再処理によって取り出されたプルトニウムをウランと一緒に原発で燃やすプルサーマル計画は、原発の安全性と経済性を破綻させるものであるにもかかわらず、日本の政府と電力会社がこれを強引に推進していることを小出さんは痛烈に批判する。それは原爆の製造以外には使い道のないプルトニウムがどんどんたまり、余剰プルトニウムの蓄積を国際社会が許さないため、苦肉の策として採用した綱渡りの危険な選択なのだ。
 周知のように、100万キロワットの原発1基の運転で1年間に広島原爆1000発の核分裂生成物(死の灰)が生み出され、それは使用済み核燃料として各原発のプールに年々蓄積されている。その使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取りだす再処理工場は、原発が1年間に放出する放射能を1日で放出するといわれるように、とてつもない危険性をもつことを小出さんは具体的にデータで示している。
 二酸化炭素が地球温暖化の原因という主張は科学的に正しくなく、ましてや二酸化炭素の放出を減らすため原発に切り替えるべきだとの宣伝がいかにデタラメであるかも、小出さんの新著から納得できる。真の原因はエネルギーの浪費にあり、自然要因も温度に関係するばかりか、原発もまた大量の二酸化炭素を放出しているからである。
 原子力開発は初めから終わりまで大量の放射能をタレ流して成り立っているが、その発端からして膨大なウラン残土を放置して出発し、そのあと始末すらできずに今日に至っている。人形峠周辺でウラン開発をした日本原子力研究開発機構(前身は原子燃料公社)は、わたしたちの鳥取県東郷町(現在の湯梨浜町)方面(かたも)地区のウラン残土撤去運動の結果、そのウラン残土の一部を6億6000万円という莫大な税金を使って、アメリカの先住民の土地の製錬会社に“鉱害輸出”するかたちで尻拭いしたのである。
 小出さんはウラン残土撤去運動において、わたしたちの共同調査者として環境放射能の測定に献身的に尽力され、それがなければ日本原子力研究開発機構を動かせなかったと思われるキーマンの市民科学者だっただけに、アメリカの先住民の土地に日本のウラン残土が“鉱害輸出”されたことに臍(ほぞ)をかむ思いを味わったに違いない。わたしもまったく同様の思いであったが、歴史というのはまことに皮肉な仕打ちをするものだ。
 日本の御用学者に対抗する市民科学者として、高木仁三郎さんが逝き、久米三四郎さんが逝ったいま、小出さんはその衣鉢を受け継いで、原子力の魔法を解く数少ない傑出した市民科学者の1人である。その意味でも、『隠される原子力・核の真実』が刊行されたことの意義はきわめて大きく、久米さんの遺言ともいえる『科学としての反原発』ともども、逆風に抗して1人でも多くの人に読まれることを願ってやまない。

久米三四郎著『科学としての反原発』の目次等について
小出裕章著『隠される原子力・核の真実』の目次等について

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